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秋田県・湯沢市
農業が盛んな土地柄もあり、明治の初め頃までは自家製の味噌を作り、醤油に代わる「たまり」が各家庭で使われるような土地柄の中、味噌・醤油の醸造地として発展した湯沢市岩崎地域。明治時代の岩崎地域には4軒の造り酒屋があり、酒造りの技術指導に南部から杜氏を招いて日々研鑽を積んでいた際に、醤油の醸造を学んだのが醤油づくりの始まりであった。岩崎地域には、現在でも1855年創業の石孫本店、1867年創業の高茂合名の2つの蔵元が国内外から評価される味噌・醤油を醸造しており、「発酵都市」の中心を形づくっている。
写真は明治2年の藩設置当時の岩崎とその周辺の絵図。中ほどに岩崎の街並みと羽州街道があり、左側に皆瀬川が流れる。羽州街道の東方の山手寄りに藩庁や学館、武館があり、それらを中心に米蔵、弾薬庫、家臣の屋敷107戸が立ち並ぶ城下町が作られた。なお、岩崎藩は、明治4年7月の廃藩置県により岩崎県となり、同年11月秋田県に合併となった。
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慶応4年(1868)に設置された岩崎藩の陣屋跡地に築かれた千年公園は藤の名所としても知られる。
明治14年(1881)、明治天皇が東北巡行の際、当時の岩崎町長高橋七之助氏の庭園でご休憩され、庭園には現在も記念碑が建っている。
偉大なる町の慈父水野錬太郎
岩崎全景。羽州街道と皆瀬川が交叉する交通の要衝として発展してきた。
時代は移ろいでも千年公園から望む鳥海山の美しさは変わらない。
1855年の創業以来、伝統製法にて味噌醤油の天然醸造を続ける石孫本店。
内務大臣、朝鮮総督府政務総監、文部大臣、貴族院議員などを歴任した水野錬太郎の別荘「恵澤荘」と庭園。
明治10年(1877)に木橋ができるまで、渡し船で往来されていた皆瀬川。1935年には旧岩崎橋が完成した。
秋田銘醸株式会社 旧岩崎蔵(爛漫 第二工場)の前身、1889年創業で”峰廼旭”を醸造していた高勇酒醸造元。
右手に高勇酒醸造元、左手に常盤まんじゅう樋渡商店を望む羽州街道・栄町の街並み。
1867年創業の高茂合名(ヤマモ味噌醤油醸造元)。次世代へと産業を紡ぐためリブランディングを行い、国内外から高い評価を得ている。
寛治元年(1087)に源義家が奥羽の豪族清原家衡、武衡を金沢柵に攻めるとき、岩崎霊符森に建立し、鐙を奉納し戦勝祈願したと伝えられる八幡神社。
恵澤荘の隣に位置する旧岩崎青年学校は、岩崎中学校校舎、旧湯沢商業高校の仮校舎、旧湯沢市立農業高等学園の校舎となり、現在はいわさきこども園の敷地となっている。
よそから病気や災いなど邪悪なものが侵入するのを防ぐために、3つの町内でそれぞれ鹿島様の藁人形を置き、春秋年2回衣替えをしている。
明治36年創業の岩崎名物・常盤饅頭。創業当初はただの「饅頭」だったが、水野錬太郎の妻がその美味しさに感銘し、店の隣にあった常盤橋の名にちなんで常盤饅頭と名付けることを勧めたという。
羽州街道・清影町の街並み。
旧岩崎小学校(現校舎の二代前の校舎)
今はなき「山の湯っこ」(川湯温泉)